☆English Woman23―大切な人を見送る1-It’s not really over☆ 執筆:ブルー朝美
英語の女あさみです(なぜ私が“英語の女”なのかは、こちらの記事をご覧下さいね☆)。
お釈迦様の入滅日と言われる2月15日に大好きな祖母が亡くなり、
マヤ暦の私のバースデーであった21日の金曜日に見送りました。
迷惑をかけるばかりで、
何ひとつお返しすることもしていないままでした。
今日はマヤ暦では、
”死”という意味もある
”白い世界の橋渡し”の日。
誰もが避けることのできない、
”死”や”愛別離苦”、
そして薬を常用することや健康について、
今回は書かせていただきます。
☆彡愛別離苦-私の場合☆彡
今回祖母が亡くなる前にも、
私の場合、
父方の祖父母や母方の祖父の死、
そして友人の死などがありましたが、
最もつらかったのは、
6年前の9月。
10日ほどの間に
大好きな叔父と
師である宗次郎先生を亡くしました。
☆彡健康は誰のもの???☆彡
その私にとっては叔父であり、
祖母にとっての息子を亡くす前に、
祖母はもう一人の息子も亡くし、
それから体の痛みを訴えるようになり、
転倒して骨折したりと、
弱る一方でした。
そして、
叔父も存命で祖母も元気だった頃は、
料理上手な祖母は、
グラタンやパスタにポトフ、
麻婆豆腐に餃子等々
おいしい料理を作ってくれていましたが、
徐々に料理をすることも
出来なくなっていき、
施設に入ることになりました。
それでも
私は祖母とおしゃべりすることが大好きで、
祖母を訪ねてはおしゃべりしたものでした。
しかし、
ある時から
ろれつが回らないという感じで、
言葉を発することなどができなくなり、
年齢的に脳の異常が疑われ受診したものの
結局は脳には問題はなく、
長年常用していた薬(痛み止め)の副作用で、
舌が動かなくなってしまったことが判明し、
それにより、
話すことだけでなく、
飲食にも支障がでるようになってしまいました。
私は、
氣功に出会う前からも
なぜか薬が好きでなく、
薬はやむを得ない場合以外はとりません。
とはいえ、
人にそれを押し付けることはしていませんが、
この時は本当に残念に、
そして悲しく思いました。
叔父が病気で亡くなった後、
祖母は弱っていきましたし、
”健康”ということは、
本当に
自分だけのことではなく、
家族や友人などなど、
影響を受ける
他の人たちのことでもあるのです。
このようにして、
祖母はだんだんと衰えていき、
亡くなっていったのですが、
今思い返すと、
祖母が料理が出来なくなった時、
話すことが出来なくなった時、
祖母との、
小さなお別れをしてきたように思います。
そのおかげか、
今回は大き過ぎる痛手を
一度に負うことは
なかったように思います。
もちろんとてもさみしいですけどね。
☆彡これでいいのだ☆彡
皆様もご存じの通り、
私は留学出来なかったことを
恨んできたりもしましたが、
こうやって日本にい続けたことで、
大好きな祖母とも
たくさんの時間を過ごせましたし、
最期の瞬間には間に合わなかったものの、
駆けつけることも出来、
見送ることもできました。
よって、
私の人生は、
これでよかったのではないか
今回祖母を見送った後
そんな風に思えたのでした。
☆彡確実にあるのはこの今だけ☆彡
私が講話などをさせていただくことがある時に
必ずお伝えしていることがあります。
それは、
大切な人には、
愛しているにしろ
大切に思っているにしろ、
何か伝えたいことは
今すぐに
伝えておいた方がよいということ。
生きていても、
祖母のように
話をできなくなってしまうこともありますからね。
確実にあるのはこの”今”だけです。
言葉にして伝えるのが難しければ、
手紙を書いておくこともできますよ。
私は、
言葉で伝えるだけでなく、
感謝の手紙を書いて、
置いてもいます。
そんな
”伝える”ということについて
書いた今現在は、
マヤ暦では、
”白い風”の13日間の真っ只中
(2月19日~3月2日まで)。
”メッセージ” ”繊細な感性” ”霊性” ”共感”
などを意識しながら過ごすとよい時です。
皆さまも、
大切な方に
素直な気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。
そして最後に、
私の顔がパンパンで笑えますが(笑)、
祖母が他のどの写真より
思いっきり笑顔な
私の大好きな写真です。
おばあちゃん、しげこさん
ありがとう、
ずっとずっと大好き♡
See ya☆
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