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感謝によって創造する 執筆:赤木あつし

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こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
 
いつもは「リストラブログ」を書いていますが、今回は
「「神との対話」シリーズを読む」
というメルマガからお届けしますね。

 

今回は第1章の4回目になります。

前回は、自分の内面に神を見るという話でした。

今回はその続きになります。

 

神が見えないと信じていれば神は見えない、
というのが前回の最後でした。

そこで話題を変えて、
信じることと現実についての話になります。

 

あなたは求めるものを手に入れられないし、
欲するものを得ることもできない。
求めるというのは、
自分にはないと言いきることであり、
欲すると言えば、まさにそのこと--
欲すること--を現実に体験することになる。
したがって、正しい祈りとは、
求めたりすがったりすることでは決してなく、
感謝である。
(p.25)

 

これは、潜在意識を利用して、
望む現実を手に入れる方法として、
よく言われていることです。

 

潜在意識はコピー機と同じで、
私たちが言ったことをオウム返しに
現実にして見せてくれるのだと。

 

ですから、「○○がほしい」と言えば、
「○○がほしい」=「○○がない」
という現実がもたらされるのです。

 

感謝とは神を信頼することだ。
求めるより前に神が応えてくれると
認めることだから。
決して求めたりすがったりせず、
感謝しなさい。
(中略)
感謝は神をあやつる手段ではない。
宇宙をごまかす仕掛けではない。
自分に嘘をつくことはできない。
自分の心はごまかせない。
(p.26)

 

感謝したフリは通用しないのです。

心から本当に感謝したとき、
「必ずそうなる」と信じたことになるのです。

 

しかし、現実にそうなっていないのに、
どうすればそうなると信じられるでしょう?

 

信念だ。けし粒ほどの信念があれば、
山を動かすことができる。
(p.26)

 

この部分は、聖書に書かれていることですね。

つまり、大昔からこのことが語られてきたのです。

 

 

しかし実際、
祈りが叶ったという人もいれば、
叶わなかったという人もいます。

でも、神はそれを譲りません。

 

どんな祈りでもかなえられる。
祈りとは、
これが現実ですと認めることだから。
そして、どんな祈りも、どんな考えや思い、
感情も、創造につながる。
(p.27)

 

このことに例外はないと言います。

 

「引寄せの法則」でも、
それは常に働いている宇宙の法則だと
書かれています。

 

私たちが「こうだ」と認めたものが、
信じたものが現実になるのです。

 

ただし、そうは言っても、
なかなか変えられない信念というものも存在します。

 

これはバシャールが言っていたのですが、
たとえば私たちが、
「自分は8本足のタコのような存在だ」
と信じれば、そうなるのか?という話です。

 

バシャールは、本当に信じればそうなるが、
おそらくそう信じることはない、と言います。

 

なぜなら私たちの魂は、この肉体で、
何か課題に挑戦しようとしているので、
それを変更することはないからだと。

 

そういう意味で言うなら、
たとえば身体障害者として生まれた人が、
どんなに健常な肉体を望んだとしても、
それを信じ切ることはないだろう、
ということになると思います。

 

そうであるなら、
私たちの言葉で言えば、
望んでも叶わないこともある
という言い方になります。

 

 

では、どんなことが叶って、
どんなことが叶わないのでしょう?

それは、神が決めているのでしょうか?

 

神が全能の存在で、すべての祈りを聞いて、
一部には「イエス」、一部には「ノー」、
一部には「そのうちいつか」などと
答えると思っているなら、それは間違いだ。
神は恣意的な基準に従って、
決定したりはしない。
(p.27 – 28)

 

ここが、
これまでの宗教と大きく異なる部分です。

 

あなたの生き方はあなたの生き方であって、
わたしはそれを、
良いだの悪いだのと判断したりしない
(p.28)

 

つまり、神は私たちに、
生き方を押し付けないということです。

これが正しい生き方だからこう生きなさい、
などとは言わないのです。

 

 

簡単に言えば、
絶対的な善悪や価値観などは存在せず、
神は人を自由になさせる、ということです。

 

私たちは自由に、
自分の思い通りに現実を創造できる。

それが神の愛だと、
「神との対話」の神は言うのです。

 

 

ではなぜ、
叶う願いと叶わない願いがあるのか?

 

それは、
私たちが本気で信じるかどうかに
かかっていることになります。

 

さらに、
この世では信じられることには
限界があることになります。

 

その限界とは、
私たちの魂がどんな課題を持っているか
ということにも関係あります。

 

そのことは他で述べられていますが、
ここではここまでで置いておきましょう。

 

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88 赤木あつし

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